利用者の声

ひまわり子どもの家とは?

ひまわりの家で生活をした子供たちのご家族の感想をご紹介しております。

東京のタカアキラくん(中2)

大川様
お世話になります。
長文になりますが、お礼の言葉をお送り致します。

1. 子供の状態

2019年に公立中学の二年生になり、兄が買ったゲーム機(プレイステーション4)でやるようになった「フォートナイト」というゲームにはまり始めました。ゲームをやり過ぎるので、時間制限などのルールをつくりましたがなかなか守れず、私がゲーム機を没収すると暴れて、家の中をグチャグチャにするようになりました。例えば、扇風機を階段から突き落としたり、大切な書籍を破り捨てたり、益々ひどくなっていきました。そして、度々不登校になっていきました。「学校に行くからゲーム機を返して。」とか「学校に行くからゲームマシン(PC)を買わせて。」と家内に頼み、家内は暴れてほしくないので、「お父さんにお願いしてあげる。」と約束してしまうことが続くようになりました。私も家内から言われれば、折れて返してやるようにしていました。しかし、学校には1日行っても、またすぐに不登校になりました。今思うと、子供にとって家内は、私が決めたルールを守らずに済むようにできる「免罪符」であり、身の回りのことを何でもやってくれる「メイド」のような存在になってしまったのだと思います。ついに子供は完全に不登校になり、プロのゲーマーになって生きていくことが、自分の唯一の希望だと言うようになっていました。

2. きっかけ

とうとう家内自身が現状に限界を感じ、公立中学でなくても良いから全寮制で面倒を診てくれるようなフリースクールに行かせたいと思うようになり、立地は東京から離れている九州地方で探し始めました。そんな折、SNSで子育ての相談をしていた方から、種子島で子育て活動をしている大川さんの存在を教えて頂きました。藁にもすがる思いで、大川さんのところに子供を送り込む方法を考えました。丁度、また暴れてしまったため、「お母さんから頼まれても、もう絶対に返さないよ。」と言って、私がゲーム機(PC)を没収したところでした。家内が子供に、「ゲーム機はもう返してもらえないと思うし学校にも行かないなら、気分転換に1週間だけ種子島に遊びに行ったら?」とウソを言って、子供をひとりで飛行機に乗せ、大川さんのところに向かわせました。2019年6月初旬のことでした。それから年末年始の一時帰省を除き、2020年3月までずっと大川さんに預かって頂きました。

3.  種子島での生活改善とその環境

種子島では、ゲームやスマホは一切無い状態でした。大川さんのところに、丁度、一学年上のお子さんがいて、長距離の陸上選手として頑張っていました。その影響もあって、子供も一緒に陸上クラブに通うようになり、走ることが新しい楽しみになりました。陸上クラブの先生方や仲間もとてもよくして下さいました。また、子供が通った南種子中学の同級生や先生方にもとても感謝しています。子供にとって、種子島でできた同級生や陸上クラブの新しいお友だちには、とても新鮮な驚きと感動があったようです。東京でのお友だちとは違い、「心がそのままむき出しになっている」印象だったのだと思います。特に南種子中学には宇宙留学生の子供たちもいるので、留学生を特別扱いしないのかも知れません。自然環境も生活環境も、種子島はまさに恵まれた環境だったのだと思います。新型コロナの影響もあって、今は陸上クラブには通えていませんが、毎日ひとりでも走るようにしています。

4. 大川さんの子育てとこれからの課題

大川さんの子育て方針というのは、何よりも「自立した大人になれるように育む。」ことだと思います。大川さんからは、子育てにおけるたくさんのご助言を頂きました。「子供扱いしない。」「守るべきルールのない家族になっている。」「子供が問題なのではなく、家族に問題がある。」等々、我々家族が持つ本質的な問題点を気付かせて下さいました。そして大川さんは、子育てを実践しながら子供に気付きを与えていくのだと思います。私の場合は仕事にかまけて、父親としての関わり方が出来ていなかったことが問題だったと思っています。そして、普段は愛玩動物のように可愛がるのに、たまに恐ろしく怒ることでビビらせるようなことをしていたのも大きな反省点でした。今も試行錯誤の連続ではありますが、決めたルールを守ってもらい、問題行動が出た時には、体罰ではないペナルティを設けるとともに、子供に問題行動を繰り返さないように話合うようにしています。しぶとく、しぶとく、子供のためにすべきことをし続けることが大事だと思っています。

今後とも引き続きよろしくお願いいたします。

熊本のたいがくん(中学三年生)人生でかけがえのない財産

るみ子さん、こんにちは!
大河が種子島、るみ子さんのもとで過ごした4年間。
本当にお世話になりました。

「この山村留学で、一人っ子の息子に兄弟をつくりたい」それが、母の願いでした。
つまりこの文章を書いている私の娘の想いでした。

孫は「ひまわりこどもの家」で、小学6年~中学3年まで4年間お世話になりました。
留学出発のわずか一週間前、小5の3月。
私の娘(孫の母)は病気で他界。
そのような状況でも、孫は自分の意志で種子島に出発することを決めました。

「ひまわりこどもの家」でお世話になった4年間。
入れ替わりでやってきた、同じ年、年下も含めて6~7人の男の子たちと共に暮らし、時にはけんかもしながら、育ち、別れを迎える時には本当の兄弟のようになっていました。

4年前を思い起こしながら、今この文章を書いていると、留学準備の時に交わしたるみ子さんとの印象的なやりとりが思い出されます。
もともと、孫は喘息がありました。
そこで、留学にあたって吸入器を持たせようかとるみ子さんに相談したことがあります。
その時るみ子さんは
「必要ありません。我が子も喘息でした。必要な時は病院に連れていきます。おまかせください」
とはっきりと言い切ってくださいました。

この言葉を聞いて、
「この人になら、安心して孫をまかせられる」と
確信したことを憶えています。

実際、小学校修学旅行の直前、孫は喘息発作が出ましたが、前日の夜付きっ切りで背中をさすってくださり、翌朝には発作がおさまり、無事修学旅行を楽しんでくることができました。
4年間の留学中、喘息に加えアトピーも治りました。
本当に感謝しています。

「ひまわりこどもの家」は、
ひとりひとりの違いや成長のスピードを見極めて、その子に最善の対応をしてくださいます。
それでいて、その時期に家族であるみんなで、何かが起こるたびに、しっかりじっくりと全員で話し合うことを欠かしません。
それにより、こどもたちが本当の兄弟のように育ちあっていきます。

今、孫はとても素直に成長し、笑顔で会話をします。
もしこちらでお世話になっていなかったら、話しかけても「別に」とか「まぁ」などと答えるような、多くの十代のこどもたちに見られるような、会話の少ない状態になっていたと思います。

「ひまわりこどもの家」には、
テレビ、電気釜、電子レンジ、エアコン、携帯、ゲームのない生活が待っています。

今、多くの家庭に当たり前に存在しているものは、ここにはありません。
けれども、その「ない」ことこそが、ひまわりこどもの家の最大の価値です。
「あって当たり前」がない生活の中、こどもたちは自分で工夫して暮しをつくっていくことを学びます。

ですので、
ゲーム依存や不登校のお子さんには心からおすすめします。
考える力、生きる力を身に着けるのに、これほど適した場はないのではないでしょうか。
ただし、「預ければ何とかなる」という人任せの親御さんにはおすすめしません。

さて、孫は、「ひまわりこどもの家」を巣立ち、高校生となり寮生活をスタートしました。
寮生活を選んだのも、「種子島で見つけた将来の夢」を叶えるための孫の選択です。
新しい生活では、掃除、洗濯から裁縫まで、身の回りの事はすべて自分でする必要があります。

しかし、「ひまわりこどもの家」での生活があったおかげで、まったく問題なく寮生活のスタートを切ることができました。
ひまわりこどもの家では、留学生はお客様ではなく、皆が家族の一員として、それぞれが役割を持ち、家の事も一通りこなしてきました。
自分で考え、決断し、人生を切り拓いていく、その力が身に着いたのも種子島での暮らしがあってこそのものだと確信しています。

「ひまわりこどもの家」での経験は、お子さんにとっても親御さんにとっても、人生でかけがえのない財産となるでしょう。

神奈川県 Aさん(決断は間違ってなかった)

息子は高機能自閉症で義務教育は支援学級へ通い、種子島に行くまでは私以外の人とコミュニケーションをとらない、とらなくてもなんとも思わない感じない状況でした。私の方が、その子供をかかえて完全に煮詰まり、正直、すべてをるみ子さんにお任せしてしまった、という言い方をしても過言ではありません。

今現在、種子島滞在は2年目になります。

まずは二人で種子島に体験に行き、ご自宅と環境、そして実際にるみ子さんにお会いして「ここしかない」という気持ちになりました。小学校だけお願いする気持ちでしたが、自分ではできないるみ子さんのレベルをみてすべてお任せしようと決心しました。

一方で子育てを自分が放棄している罪悪感もありましたが、毎回会うたびにコミュニケーション能力が高くなり、他人ともお話ができるようになった子供の姿をみると、「決断は間違ってなかった」と思っています。
とても感謝しています。

東京都 Eさん(はじめて息子が書いたノート)

家庭に不幸が起こり、子供が学校へ行かなくなってしまいました。

まったく突然のことでした。

夜になると、「明日は絶対学校へ行くから許してね」と言われ、朝になると「行く、行かない」と激しい親子の言い争いになり、そのうちまったく言うことさえも聞かなくなりました。そして子供とこのまま消え入りたい気持ちになっていました。

どこで子育てを間違ってしまったのか、どうしてこんなことになってしまったのかがわからず途方に暮れる時間でした。心理カウンセラー等あらゆるところに相談もしましたが「時が解決してくれる」「あせらないで」としか言ってくれず、今この状況をどうにかしてほしい私にとってはなんの解決にもなりませんでした。

息子はADHDの気質を持ち、LDのため字を書くことが得意ではなく、板書はしたことがなく、宿題などはまったく小学校1年生からまったくやらない状態でした。驚いたのは、生活面だけでなく息子が字を書き、板書をするようになったことです。
初めて息子が書いたノートを見た時には、涙がでるほど感激しました。

東京都 草野さん(妹も種子島に行けると思ってワクワクしています)

娘(現在中学二年)に狭い東京暮らし以外に広い世界を感じてほしくて、小学5年生の夏休みオーストラリア一ヶ月留学を予約していました。
親子で楽しみにしていましたが、急遽、人数集まらずキャンセル!とECCから連絡ありガッカリ。たまたまママ友が与論島へ娘さんを”山村留学”に出した、と聞いたので、なにそれ?面白そう!と私も早速”山村留学”をググったところ、一番最初に検索されたのが、るみ子さんホームページでした!
(今、思うと運命の出会い(笑)!)
元保育園の園長さんだった、るみ子さん経歴と、種子島の広々とした自然の写真に心躍り、早速連絡!会いに行ったのがきっかけです。その日に娘が「うん、気に入った!私、ここにする」と断言するので、あれよあれよと一年間の山村留学が決定しました。

娘は未だに種子島での生活を喋りだすと止まりません(笑)東京に戻り3年経つのに未だに目をキラキラさせて、海の中の話、畑の収穫、タケノコ狩り、留学先の学校、友達、放課後の遊び、留まることなく、楽しそうに話すので、私達家族も、親戚も、東京の先生方も、興奮しながら何度も聴いてしまいます(笑)
小学生四年生までの思い出はないの?と聞くと「あんまりない。毎日学校いくのがつまらなかった、、、」と。「でも種子島は朝学校に行くのが楽しみで仕方なかった!!」と言うので、あー、、、あのときの山村留学一年間は、私にも娘にも最高の転機だったんだな。と今でもあのときの直感に感謝しています。

娘に最高の子供時代の思い出をプレゼントできて、私もよかった!あのままグレー空の東京のせせこまい小学生にいかせず、一年飛び出して青い空の広い海の、温かい少人数の小学生を体験できてよかった!!
今は本当にるみ子さんご家族に感謝です。
娘に素敵な体験と思い出をありがとうございました!!

妹は姉の話を聞いて育っているので、自分も小学5年生になったら、種子島に行けると思ってワクワクしています(笑)
まるで海の上に出られる事を待ち望む人魚姫みたいです(笑)

るみ子さん、まだまだ元気で子供達をよろしくお願いいたしますね(*´∀`)♪

利用者の声 Tさん(ひまわりの家へのメッセージ)

障害が、あっても、なくてもどんな子も自分の手と、足と、頭と、心で、自信に輝いてすすんでゆけるようになるための時間、環境、なかまをみんなで創造する場所。「ひまわり」みたいに、明るい未来を追いかける子どもたちであれと願ってわたしがるみこさんから感じるひまわりの家のコンセプトメッセージは、こんな感じです。

言葉にならないモヤモヤを学校への行きしぶりで表現していた娘。

その心の中がまったく見えず焦ってこじ開けようとしてちっともうまくいかなかった私。もう私じゃダメかなとるみ子さんと種子島の自然に託しました。
正直、悲しかったです。でも、「楽しそう。行きたい」と言った子どもの力を信じてみました。

小学5年生の2学期からの7ヶ月間!

ひまわりの家での暮らしは子どもの固くなったココロをくすぐる「しかけ」がいっぱい。カラダとココロが、どんどんアクティブに動き出しいつのまにかモヤが晴れ元気で、思いやりが行動にできるすてきなひまわりっ子になって帰ってきました。

「母ちゃん」とDちゃんと過ごした種子島は、子どもの大切な宝物です。
ありがとうございました。

ひまわり子どもの家

募集要項